Trip of Techno ボラカイ島パーティ体験記 前編

改めて当時の写真の撮影日時を見てみると、2016年の2月末。

海外のフルムーンテクノパーティを体験するために、フィリピンのボラカイ島へ行ってから約4年が経った。その旅はその後、フィリピンのパラワン島〜マニラ周辺やベトナムでのDJの機会を得るきっかけとなるものだった。

今は閉店してしまった爆音小箱・渋谷ANTENNAの店長に「フィリピン人DJの知り合いいるから現地行ってみれば?」と言われ、ボラカイ島へ。

フィリピン国内有数の規模の野外パーティのオーガナイザーであるジャックは、ボラカイ島に所有している自身の土地でパーティを主催していた。ビーチ沿いのDJ機材・サウンドシステム完備のパーティスペース「Area 51」で、新月の夜と満月の夜の月に2回のみの開催。あとは、パートナーであるフィリピン人女性DJのティーと二人でゲストとして国内外のパーティに呼ばれて、仕事と旅行を兼ねて世界中のパーティースペースを飛び回りながら悠々と遊々とこの世の春を謳歌していた。

しかし近年ボラカイ島の自然環境の悪化が深刻化。リゾート施設の近くの海に下水や汚水がそのまま垂れ流されている映像がネットで出回ってそれが問題視されていたりということもあり、2018年4月にとうとうフィリピン大統領ドゥテルテがボラカイ島の閉鎖を宣言。観光客の立ち入りを半年ものあいだ一切禁止としたのだ。ドゥテルテ大統領は、島内の観光事業者が汚水を直接海に流していると激しく非難。美しいボラカイの海が「汚水溜め」に変わってしまったと述べ、17人の島の関係者が注意義務を怠って環境災害をもたらしたとして責任追及され、市長は停職処分となった。また、半年後も全面再開ではなく、一日6,405人までの観光客の島内立ち入り人数制限や、ビーチでのゴミ捨て、飲酒、喫煙、焚火、ビーチでのパーティーの禁止に関しては依然規制が続く。さらには宣誓書への署名を観光客全員に求める等、自然環境は急速に改善されているものの、リゾート地としてはかなりネガティブなイメージを色濃く残しており、ボラカイ島観光産業全体に今も大打撃をあたえている。特に「ビーチでのパーティーの禁止」の項目により、ジャックとティーは生命線を切られたまま。二人の音楽活動のベースとなるパーティスペース、「Area 51」でのBlack Moon PartyとFull Moon Partyの開催が違法となっていることは、音楽活動においても経済活動においても直接的に二人を苦しめている。その後の二人の人生は、この大統領宣言の影響を大きく受けることとなる。

ドゥテルテはギャング撲滅のために大統領自ら陣頭指揮をとるほどのハードコア大統領で、犯罪者には銃殺もやむなし。警察による超法規的殺害も公然と支持しているので、ボラカイ島内で大統領宣言違反の違法ビーチパーティを開催するのは、現地の警官の判断一つで大事にもなりえる。また、そのフィリピンの現状を知って誓約書まで書かされた観光客がパーティを心から楽しめるとも思えない。2019年の11月頃にジャックと話している時に、「ボラカイは変わらず死んでる。おれの場所が、Area 51が…」と呟いたのを聞いたときはなんとも悲しくなった。ただ、現在ビーチは以前の美しさを取り戻しているようで、静かに景色を楽しみたい方にはおすすめできる。ばか騒ぎ禁止のリゾート地として新しい価値が生みだせないだろうか。

ただ、僕がボラカイ島を初めて訪れた4年前の2016年にはまだそんな命令が本当に下されるなんて誰も思ってもおらず、Area 51はただただ自由で最高なパーティスペースとして広がっていた。優秀なPAでもあるジャックが高級なアンプに自作のスピーカーを繋げ、数年かけて組み上げたサウンドシステムはクリアでハイパワー。毎回数百人〜多いときは1,000人近いオーディエンスを満足させる音質・音量で、さらには満潮時には波打ち際まで数十歩になるという夢のようなロケーションと両立している。百聞は一見に如かず。動画はこちら。

またジャックの父親はボラカイ島の名士であり、長年地元で宿を経営されている。僕はボラカイ島滞在時にはその宿に宿泊していた。宿内はジャックの父親の知人の芸術作品が並べられておりオーガニックでハイセンスな雰囲気。廃材をもとに立体的にコラージュされた作品はとても宿全体ににマッチしていた。

また宿の中庭には小さなDJブース小屋が有り、音量は小さいものの、そこでは個性的なローカルのDJが一日中プレイしていた。ご飯食べながら蚊を追い払いながら。彼のDJスタイルは延々と地味に続くループを軸とするミニマル・テクノ。そのループの中の、奇妙で鋭利な音像が奏でる独特のグルーヴ感が癖になる個性的なものだった。宿内はとても安全な事もあって、外に出なくてもかなりリゾートを感じることができた。ぷかり。ふう〜

ある晩の夕食時にも彼は食べながらDJしていた。この宿は各部屋に食事を運ぶこともできるが、中庭のDJブース小屋前にテーブルを出し、音楽を聞きながら宿内の皆で一緒に食事をとることもできるスタイル。その皆での夕食時に、酔っ払ってとても偉そうな本性がむき出しとなってしまったドイツ人観光客の初老のオジサマが、アジア文化について悪態をつきはじめた。結局アジアはヨーロッパを永遠に追いかけてるだけなんだと。最終的には、「ドイツ文化最高。フランスとか他のヨーロッパまあまあ。で、フィリピンとか日本とかアジア残念だね。もっと頑張って。」

この洒落た宿のオーナーであるジャックの父親も、宿の従業員も、他の国からの観光客も、ドイツ人オジサマ自身の家族もいる中で。緩やかにミニマルにビートが続く中、DJブース前のテーブルで皆でディナーを食べている時に。ドイツ人オジサマはどっかりと椅子に体を預けワイングラスを傾けながら、歯に衣着せぬ切れ味で堂々と言い放った。

みな呆気にとられて何も言えず動けず。すこし時間をおいてドイツ人オジサマの奥方が、「ちょっと口を慎みなさい。子供も同席してる場でしょ」と戒めたものの、「英語の発音とかもそうじゃないか。日本とか韓国とかインドとかHAHAHA!って感じ。サッカーについてもそうだ」と、本音全開で僕たちに接してくれる。そうか。こんな初対面の僕にも自身の腸をさらけだして語ってくれるんですね、この楽しい多文化交流ディナー時に。本音って痛いってこと教えてくれてるんですね、そんな癖のあるドイツ訛り全開の英語で。

そんな空気を感じ取った宿のDJがそのときにかけた曲が、ねっとりと甘い高音の女性ボーカルが、まとわりつくようなメロディーを歌いあげる中国民謡。優しく美しい旋律が、川のせせらぎのように宿の中を流れていく。すこし子守唄を思わせるような雰囲気がなぜか懐かしい。これといって題名は思い浮かばないけど、昔見た中国映画で流れてたような。。。そしてこの選曲により、言葉の壁を乗り越え、静かに力強く全員の意思が統一された。

「そーだよ。。。はよ部屋に帰って寝ろ!ドイツの王様よぉ!」

と、すかさず宿のオーナーが「そうだな。もうおやすみの時間だな」と一言。皆、口々に王様に進言し始める。
「なんて優しい曲でしょう!眠くなっちゃいますね」
「夢の世界にいるようです。動けなくなっちゃいますね」
「ベッドにもぐり込む最高のタイミングですね」
イギリス人もフィリピン人も日本人もない。ピース。世界は一つ。

周りのみんなで「ウンウンそーだねそういえば眠いよね」と。ただ当の王様だけは「いやもう一杯、みんなもうちょっといいじゃないか」と食い下がったところで、とうとうオーナーが立ち上がった。

「他のお客さんも迎えているこの宿のオーナーとして言う。あんたは飲みすぎて無礼だ。ベッドに行け!そして寝ろ!おい、このお客さまをベッドにお送りしろ!」
すぐさま指示に従った2人の従業員に手を引かれ、ブツブツ言いながら部屋に戻っていく王様は、まっすぐきっちり怒られてさすがに意気消沈していた。それを察して奥方もすぐに付き添うために後を追った。残った一同はみな、DJに向かって微笑みかけていた。

僕が親指を立ててサインを彼に送ると、彼はニヤッと笑って親指を立てた。
スッとピアノのきいた軽いハウスに繋いで、そこからまたディープでミニマルなテクノの世界へ。
そうだよDJ。まだまだ踊りたい。言葉を交わさなくても、彼は選曲を通して全員と語り合っていた。そして理解していた。

オーナーが笑顔で話しかけてきた。「まだいけるでしょ?」

「もちろんですよ。王様が帰ってからがパーティーでしょ」お互いハイタッチをして煙を肺の底まで落とし込む。
月夜にテクノがよく響く。とても愉快な夜だった。

僕がDJブース前の椅子に腰掛け、「あんたよくそんな曲持ってるねえ。ずっとミニマルテクノ延々とかけてたのに」と宿のDJに話しかけると、「以前マカオでDJしてた時に華僑パーティも多かったからな。スペインやらブラジルやらなんやらコミュニティごとに仕事が入るのがスタイルだったから、チャイナ系やらラテン系やらいろいろ押さえてあるぜ。もちろんテクノが最高だけどな」とのこと。彼のDJ人生の厚みを感じ、とても感銘を受けた。「いやー、あんた最高だね。いいDJだよ」と僕が椅子から立ち上がると、彼はニヤッと笑って流れるように手巻きで一本作って、グッとビートをきかせてきた。ヴァイブスを回しだすと宿のオーナーも従業員も踊りだし、そのままみんなで夜遅くまで楽しくパーティした。音楽の持つ力や魅力を再認識した夜。やっぱりDJって最高だな、と思った。

後編へ続く

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